丸長グループは歴史も古く、複雑に枝分かれしているの
で、当然つけ麺(つけそばあるいはもりそば)も店によって
相当違ったものになります。
はっきりしない点もありますが、歴史としては以下の
ようになると思います。
まず、丸長グループは地縁・血縁が濃い集団であること
に特徴があります。
発祥は、昭和22年に長野県出身のそば職人で義兄弟だった
青木勝治氏と山上信成氏が荻窪に店を出したことに
始まります。青木氏が南口に開業したのが丸長、山上氏が
北口に開業したのが丸信です。さらに昭和20年代の前半に、
青木氏の縁者が栄楽と栄竜軒を開業しています。
創業者青木氏直系の丸長は、荻窪、新井薬師、目白、
板橋小豆沢、八千代市勝田台、そして勝田台の息子さん
が今年2月に開業した八王子だろうと考えられます。
さらに青木氏の縁者には坂口氏という人がいて、この人
が昭和26年に開業したのが中野大勝軒です(のちに本店は
代々木上原に移動)。坂口氏の親戚で、中野大勝軒で修行
したのが東池袋大勝軒の山岸氏です。
丸長は直系のほかにもそこで修行した人が出した店があり、
豪徳寺、阿佐ヶ谷、坂戸などがそうです。成増は閉店した
大山の丸長で修行したようです(びっぐさんのデータによる)。
さらに東京で修行した職人が故郷に戻って開いた丸長が
長野市や湯田中などにあります。他に伊勢崎市やつくばにも
丸長があります。
丸長グループでもつけそば一本でやっていける店は稀で
多くは中華料理メニューを増やし、出前などで経営を安定
させようとしています。そのため麺なども使い回しがしやす
い中細麺になってしまい、つけ麺の麺としてはいまいちに
なってしまっているのだと思います。
ちなみに大勝軒系列では、中野に近い系統だとみられるのが
鍋屋横丁、野方、西台、神保町など。もとをただせば同根
ではありますが、一応東池袋から出た店を区別すると、
麺屋ごとう、滝野川大勝軒、北習大勝軒、サニー、GEN
などになります。この辺になると地縁・血縁もうすく
なっていると思います。このほか、祖師谷大蔵の店も
東池袋系に分類していいのではないかと思います。
たぶん事実誤認もあるかと思いますが、こんなところで
よろしいでしょうか。
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